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広島高等裁判所 昭和53年(ラ)29号 決定

抗告人

田辺製薬株式会社

右代表者

平林忠雄

右代理人

石川泰三

外一三名

主文

原決定を左のとおり変更する。

鑑定人大村一郎に対する忌避の申立は理由がある。

鑑定人井形昭弘、同花籠良一に対する忌避の申立をいずれも却下する。

理由

一本件抗告の趣旨及び理由は、末尾添付の抗告状に記載のとおりである。

二よつて、判断するに、本件記録によると、原裁判所は、原告青山友子外九二名、被告抗告人外三名間の広島地方裁判所昭和四八年(ワ)第二九二号、昭和四九年(ワ)第八四六号、昭和五一年(ワ)第五一八号損害賠償請求事件(以下「本件訴訟」という。)について被告国の鑑定申出に基づき昭和五二年一二月六日原告伊藤フミエ外三二名に関し「(1)同人らがスモンに罹患したか。(2)右スモンは、キノホルム剤の服用に起因するものであるか。(3)その症状の障害程度」という鑑定事項について鑑定を採用し、共同鑑定人として抗告人忌避にかかる大村一郎、井形昭弘及び花籠良一を含む一五名を指定した(但し、その後うち一名につき指定を取消した)ことが認められる。

そこで、以下、抗告人忌避にかかる各鑑定人につき忌避事由の存否について検討する。

(一)  鑑定人大村一郎について

本件訴訟記録によれば、鑑定人大村は、国立呉病院第一内科医長で、厚生省特定疾患スモン調査研究班の班長であり、従前からスモンの研究、治療に深い関心と実績を有しており、右病院が広島県一帯のスモン治療の中心ともいうべき位置を占めるに至つていたところ、本件訴訟の原告らの相当部分の診察ないし治療に関与してきたこと、鑑定人大村は、本件訴訟の審理が進み、本件訴訟の原告らについてスモン罹患の有無等に関する鑑定が採用される事態に備えて、本件訴訟の原告らの中にスモン患者でない者がいたり、資料が不備であつたりしてはいけないと考え、本件訴訟が提起された後である昭和五二年九月前記伊藤フミエ外三二名を含む本件訴訟の原告らについてその依頼により統一診断を実施して全員をスモンと診断し、その結果に基づいてスモン診断書なる統一診断書を作成したこと、右統一診断書は、患者に対する問診のほか、関係医療機関作成の診断書、診療録、投薬証明書等を参考資料として各患者ごとにスモンと診断した根拠、症状の経過及び現在の症状(症度)を記載したものであり、本件訴訟において原告らは、自己や患者本人のスモン罹患等の事実を立証するため、右診断書を書証として提出していることが認められる。

右に認定した鑑定人大村が統一診断書を作成した意図、経過、統一診断書の形式、記載内容等に照らすと、同鑑定人の統一診断書作成は、従前からスモン研究、治療に従事してきた医師としてのスモンの治療あるいは研究業務の一環としてなされたものというよりはむしろ、本件訴訟の原告らの立証活動を補うため、その依頼により訴訟外においてした私的鑑定としての性格を有するものといわざるをえない(ちなみに、原告ら訴訟代理人は、被告国の鑑定申出に対し、昭和五二年一二月二日付意見書において鑑定人大村作成の統一診断書は、優に鑑定書といえるものであつて、右鑑定申出を採用して鑑定をする必要性は全くないと主張している)。

ところで、民訴法三〇五条にいう鑑定人につき誠実に鑑定をすることを妨ぐべき事情とは、単に不誠実な鑑定がなされるであろうという当事者の主観的な推測では足りず、鑑定人と当事者との関係、鑑定人と事件との関係から、鑑定人が不誠実な鑑定をなすであろうとの疑惑を当事者に起こさせるに足る客観的事情であることを要し、かつそれをもつて足りるのであつて、たとえば、鑑定人が当事者の一方と友人、師弟又は取引その他の関係で密接な関係にあること、鑑定の対象である事項につき訴訟外で当事者の一方の依頼を受けて鑑定をしたこと等は、いずれも忌避事由に該当するものと解される。

これを鑑定人大村についてみるに、前記のとおり同鑑定人は、本件訴訟に書証として提出されている統一診断書の作成という形で、原裁判所が採用した鑑定の対象である事項について訴訟で原告らの依頼により私的に鑑定したものというべく、同鑑定人については、不誠実な鑑定をなすであろうとの疑惑を訴訟当事者に起こさせるに足る客観的事情があり、同鑑定人は、忌避事由に該当するものというほかない。

従つて、鑑定人大村に対する忌避は、理由があるものというべきである。

なお、本件鑑定においては、一五名の鑑定人が指定され(その後、一名の指定が取消された。)、共同鑑定が命ぜられているが、共同鑑定は、鑑定人が共同して鑑定資料の蒐集、調査、実験等をなし、鑑定意見の報告をするものであり、鑑定意見が出されるまでの過程に右のような特色があるだけであつて、鑑定人となりうる適格性の有無、鑑定人に対する忌避事由の存否等は、各鑑定人ごとに個別的に判断すべき事柄であるから、本件鑑定が共同鑑定であることは、なんら前記判断を左右するものではない。

(二)  鑑定人井形昭弘、同花籠良一について

当裁判所も鑑定人井形、同花籠につき誠実に鑑定をなすべきことを妨ぐべき事情があるとは認め難く、右鑑定人らに対する忌避の申立は、理由がないと判断するものであつて、その理由は、原決定の理由中、右鑑定人らに関する部分の説示と同一(但し、原決定六枚目表末行から同裏四行目まで及び七枚目表七行目から末行までをいずれも「その他、同鑑定人について不誠実な鑑定をなすであろうとの疑惑を当事者に起こさせるに足る客観的事情は、証拠上認め難いのであつて、同鑑定人に対する忌避の申立は、理由がない。」と改める。)であるから、これを引用する。

三以上説示のとおりであつて、鑑定人大村に対する忌避は、理由があり、鑑定人井形、同花籠に対する忌避の申立は、理由がないから却下すべく、これと異なる原決定は、一部不当であるからこれを変更することとし、主文のとおり決定する。

(胡田勲 北村恬夫 高升五十雄)

〔抗告の趣旨〕

一、原決定を取消す。

二、広島地方裁判所昭和四八年(ワ)第二九二号、昭和四九年(ワ)第八四六号、昭和五一年(ワ)第五一八号損害賠償請求事件において、同裁判所が昭和五二年一二月六日選任した鑑定人大村一郎、同井形昭弘、同花籠良一に対する忌避の申立は理由がある。

との決定を求める。

〔抗告の理由〕

第一、総説

抗告人の本件忌避申立の理由の要旨は、原決定別紙忌避申立理由書記載のとおりである。

原決定の本件却下理由の骨子は、本件忌避申立対象鑑定人三名についてはいずれも自己の「医師としての良心」を犠牲にしてまで不誠実な鑑定をなすであろう事情が認みられないこと、及び本件鑑定が一五名(現在一名取消)の「共同鑑定」であるという特質を有するというにある。

しかし乍ら、右却下理由に於いては、抗告人が忌避申立理由書で指摘したスモンの会全国連絡協議会(以下ス全協と略称する)の性格、広島・福岡等の各スモン訴訟における「統一」診断の実態が殆ど顧慮されておらず、本件訴訟に於ける忌避対象者の鑑定人としての適格性を十分吟味したものとは到底考えられない。以下各別にその所以を明らかにする。

第二、鑑定人大村一郎

一、広島スモン訴訟に於ける鑑定人大村一郎(以下鑑定人大村という)の統一診断について、原決定は大村が従前より広島スモン訴訟の原告の相当部分の診療等に関与してきたものであり、これがため訴訟提起後も本件訴訟の原告について改めて診断をして引続き右研究及び今後の治療にも役立てたいとの意図もあつて、原告らの求めに応じその結果を統一的な形にまとめたものであるとし、大村統一診断は医師としての治療ないし研究業務の延長であるとも評価しうるから右統一診断を実施したことが民訴法第三〇五条所定の「誠実ニ鑑定ヲ為スコトヲ妨クヘキ事情」には該当しない旨、説示している。

しかし乍ら統一診断実施の第一義的目的が原告側の立証活動の不備を補い、訴訟遂行を有利ならしめるための証拠方法即ち統一診断書の作成にあることは鑑定人大村自身が認めているところである。

しかるに原決定が、この点に論及することを避け、前記のような極めて婉曲的な言回しではあるが大村統一診断に医師としての治療ないし研究業務の一環であるとの位置付けを与え、それを以て忌避事由の不存在に結び付けようとするのは、正に真実を直視していないものと云わざるをえない。

およそ私的鑑定の性格をもち、訴訟に於いて一方当事者に有利な証拠資料となることを目的として実施された統一診断を、学会に於ける研究発表、専門誌への論文寄稿(これらは研究業務の延長と評価しうる)などと同列に論ずることは到底為し得ない筈である。

二、鑑定人大村の実施した統一診断が原決定が説示するような医療目的のもとに実施されたものではないことは診断書の記載内容自体からも明らかである。

即ち、大村統一診断書なるものは、他の診断書等に記載された症状経過の転記要約とキノホルム剤投与のみを記載し、それに簡単な現症・症度を書き加えたものに過ぎず、他薬(特に抗結核剤・麻薬)の投与状況には全く触れていないばかりか、キノホルム剤自体の投与量、投与期間等すら記載されていない。このように、「薬物中毒」の治療ないし研究に関する最も基本的な事項が欠落させられている診断書の記載を一見するならば、それが果して学問的研究業務と評価しうるか否か自ずと明らかであろう。

しかも、問題なのは、鑑定人大村作成にかかる統一診断書の大半が当該患者の症状経過、病像を知るうえで最も重要な資料である診療録を参照せずに作成されていることである。

この点に関し、抗告人は申立理由書に於いて鑑定人大村が「神経症状」発現前キノホルム剤非服用の例について、診断書作成に当つて「神経症状」発現時期を意識的にキノホルム剤服用後に繰り下げスモン・キノホルム説に整合させるような行為がなされていることを指摘した。

ところが、原決定は、右例の診断書作成に当つては診療録を参照しなかつたのであるから認定の当否はさておき、作為的であるとの非難は当らないとし、このことが大村の鑑定人としての適格性を左右するものではない旨説示している。

しかし、原決定が「さておき」としている点こそが鑑定人の適格性判断のための最大のポイントではないだろうか。自らの患者でもない者を、担当医のカルテも見ずしてどうして適確な診断ができよう。

しかるに、前記のように、鑑定人大村は「神経症状」発現前キノホルム剤服用の例について、診療録を参照せず、他資料(その殆どは問診)によつて症状経過等を認定しているのであるが、それは医師としての学問的良心を持つ者の為しうるところであろうか。

ちなみに、先般の北陸スモン訴訟金沢地裁判決に於いても、スモン非スモンの鑑別に関し「診療録からの病歴の調査を行ない、それぞれの類以疾患の立場から臨床所見、検査所見を中心に除外診断を行なう必要がある」と説示し、そのため「診療録の提出それに基く専門家の鑑定が必要である」と明快に総括している。

三、いずれにせよ、鑑定人大村が裁判外で一方当事者(原告弁護団)の依頼により私的鑑定の性格を有する統一診断を実施したこと自体、民訴法等三〇五条所定の忌避事由に該当すると云うべきである。

民訴法第三〇五条所定の「誠実ニ鑑定ヲ為スコトヲ妨クヘキ事情」とは鑑定人と当事者及び事件との関係から鑑定人が不誠実な鑑定をするであろうとの疑惑を当事者に起こさせるに足る客観的事情の存在を以て足り、それ故、このような客観的事情の一類型として当該事件に関し、一方当事者の依頼により裁判外で鑑定をなしたことは当然、忌避事由に該るとされてきたのである(法律実務講座四巻三一〇頁、菊井=村松民訴Ⅱ三五一頁以下)。

この点だけからしても、鑑定人大村が本件鑑定より除外されるべきは当然の事理である。

まさに、前述の事実こそ、原決定に云う「医師としての学問的良心」を犠牲にしてまでも不誠実な鑑定をなす虞れを示唆するものと云えよう。翻つて、裁判所が選任する鑑定人は、医師に限らずそれぞれの専門分野について特別の学識経験等を有するものであり、当然専門家としての良心はもちあわせていよう。

しかし乍ら、法が特に鑑定人忌避制度を設けたのは専門家としての学問的良心のみに依拠することによつては、必らずしも鑑定の適正を担保することは期し難いからに外ならず、原決定のような見解は、民訴法第三〇五条の存在意義を没却することになりかねない。《以下、省略》

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